事実はケイザイ小説よりも奇なり

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【最終内覧①】(ヂメンシノ事件15)

 6月1日は物件の最終的な内覧の日だった。

 既に井澤は物件自体を2回見ていたが、今回の取引は現状有姿での引き渡しだ。つまり、売主は建物をそのままの状態で満水ハウスに引き渡す。満水ハウス側からすると建物には価値は無いし譲り受ける必要も無い。満水ハウスは純粋にマンションを建てたいだけだ。しかし、売主側にとって建物を解体して更地にするのは面倒であることも事実だ。また不動産業者ではないのだから解体業者との付き合いもないだろう。

 したがって、今回の売買のように、いわゆる不動産の素人と満水ハウスのようなプロが売買をする際には、現状有姿で引き渡しがなされることは一般的だった。

 そして、今回の内覧は、建物内に満水ハウスにとって厄介なものが無いかの最終確認だ。例えば、PCBは土壌汚染の物質だが、処理ができない。PCBを遊休不動産にて保管しているケースはあり、注意しておかないと処理負担を満水ハウスに押し付けられかねない。

 曇天の中、関係者が集まった。井澤が出向く。

 篠原氏側は財務担当の大山だ。所有者の篠原氏は立ち会う予定だったが、急遽体調不良で欠席となった。

 海猫館では、正面玄関ではなく裏手に回ると勝手口がある。勝手口の玄関は古い南京錠によって施錠されている。色は鈍い金色であり、真鍮のように見える。典型的な南京錠だった。

 大山が慣れた手つきで持参した鍵を使い、南京錠を外した。

 「さあ、お入りください。スリッパはこちらをお使いください」
持参したビニール袋からスリッパを取り出す。ビニール袋にはビッグAの印字がされていた。ダイエー系列のディスカウントストアだ。スリッパも安いものだ。恐らく100円均一ショップに売っているものかもしれない。大山は身なりといい、持っているものといい、金回りには苦労しているように伺える。財務担当とはいえ、年齢も高いようだから給料も良い水準ではないのかもしれない。もしくは大山本人がケチかのどちらかだ。

 大山にスリッパを揃えてもらい、海猫館に入る。入ってすぐの通路はタイル貼りだが、客室側は板敷となっている。

 カビとホコリの臭いが充満している。中は薄暗いため、懐中電灯をつけた。

 各部屋を順番に見ていく。特に調理場と倉庫は綿密にチェックする。先日内覧した時から物は増えていなかった。

 ただ、廊下の床は少しキレイになっていた。井澤の記憶では、廊下はかなりホコリまみれだった。井澤はアレルギー持ちだ。花粉症は20歳代前半で発症した。ホコリにもアレルギーを持っている。そのため、自宅は毎日のように自分で掃除をしていた。ホコリを減らすために、吸引力が優れていると言われていたダイソンの掃除機も購入し、クイックルワイパーで毎朝拭き掃除もしている。もちろん空気清浄機も完備だ。今はパナソニックの空気清浄機を使っているが、今度はバルミューダの空気清浄機を買おうと考えていた。今回、海猫館の取引が完了すれば、夏のボーナスは期待できた。そのボーナスでバルミューダを狙っていた。

 大山に今日の内覧に向けて掃除したのかと聞いたが、していないとのことだった。何か引っかかるものを感じた井澤だったが、ホコリが少ないことに安堵していた。

(続く)

<本文で出てきた空気清浄機(ご参考)>

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ヂメンシノ事件